創業物語Founding Story

母の三坪のとうふ屋から、
沖縄を届けるジーマーミ豆腐専門店へ

ハドムフードサービスをご贔屓にしていただき、誠にありがとうございます。
私たちは現在、沖縄の郷土料理である「琉球じーまーみとうふ」を、県内外のお客様へお届けしています。

今でこそ、ジーマーミ豆腐を専門に製造する会社となった私たちですが、その始まりは、母が一人できりもりしていた三坪ほどの小さなとうふ屋でした。

こちらでは、私がこの仕事を始めたきっかけ、ジーマーミ豆腐に絞るまでの歩み、そしてこれから私たちが目指していることをお話しさせていただきます。少々長くなりますが、お付き合いいただけましたら幸いです。


母の小さなとうふ屋から始まった

私は、サラリーマンの父と、とうふ屋を営む母の間に四男として生まれました。
幼い頃から、家族のめんどうを見ながら、夜中にとうふを作る母の姿を見て育ちました。

「とうふ作りは大変だなあ」と思う一方で、自分で商売をする母の姿には、どこか憧れのようなものも感じていました。

大人になって一度は会社勤めをしましたが、商売への思いを捨てることができず、28歳のときに母のとうふ屋を継ぐ決心をしました。
正直に言えば、最初からとうふ作りに強い興味があったわけではありません。

商売をしたい。自分の力で仕事をつくりたい。
その気持ちの方が大きかったと思います。

写真提供:那覇市歴史博物館

私が「継ぎたい」と母に伝え、仕事を始めてから半年ほど経った頃、母はとうふ屋の仕事をすべて私に任せてくれました。

今思えば、母は本当に男気がありました。
細かく口を出すのではなく、任せる。
失敗も含めて、私に背負わせる。
その覚悟があったからこそ、私は商売人としての一歩を踏み出すことができたのだと思います。

今のハドムフードサービスの原点には、母の小さなとうふ屋と、母が積み重ねてきた仕事があります。


できると思って始めた仕事は、想像以上に厳しかった

とうふ屋を継ぐと決めたとき、不思議と不安はありませんでした。
むしろ、「自分ならできる」という気持ちの方が大きかったように思います。

しかし、実際に仕事を始めてみると、現実は簡単ではありませんでした。
とうふ作り、配達、営業、売上の清算、事務処理。
さらに、製造設備を整えるための資金調達も必要でした。
当時の一日は、今思い返しても本当に過酷でした。

夜11時頃から朝便のとうふを作り始め、朝5時頃にいったん製造が終わります。
朝方に少し仮眠を取り、7時半頃から今度は夕方便の製造を始めます。
お昼頃に製造が終わると、シャワーを浴び、午後からは居酒屋さんや飲食店さんへの営業と配達。
夕方からは売上の清算や事務処理。
土日も仕事でした。
睡眠時間は、実際には3時間から4時間ほどだったと思います。

体力的には本当にきつかったです。
それでも、自分で作ったとうふをお客様に届け、「おいしい」と言っていただけたときの喜びは、何にも代えがたいものでした。

自分が作ったものを、誰かが食べて喜んでくれる。
その体験が、私をとうふ作りに夢中にさせていきました。


取引先200店舗。しかし、価格競争の限界も感じていた

母が一人でとうふ屋を切り盛りしていた頃、工房では一日60丁ほどのとうふを作っていました。
取引先は、飲食店や惣菜店さまが数店舗ほど。
当時の売上では、一人分の給料をまかなうことも簡単ではありませんでした。

とうふ屋を継いだ私は、まず取引先を増やすために必死で営業をしました。
飲食店さまを中心に訪問し、少しずつ取引先を増やしていきました。

その結果、3年ほどで約200店舗のお客様とお取引いただけるようになりました。

ただ、その一方で、厳しい現実もありました。
県内にはすでに多くのとうふ屋さんがあり、長年の取引関係もあります。
新参者が入り込むのは簡単ではありません。

商売を広げようとすれば、どうしても価格競争に巻き込まれます。
心を込めて作ったとうふの値段を下げ合うような商売に、私は少しずつ限界を感じるようになりました。

その頃の私は、沖縄の食文化を全国に広げたいという、立派な言葉を掲げていたわけではありません。

正直に言えば、価格競争から抜け出したかった。
そして、売上を伸ばすために必死でした。

このまま県内だけで商売を続けていても、先が見えないのではないか。
そう考えるようになった私は、県外での営業に挑戦することを決めました。


2009年、法人化。そして支えてくれた妻の存在

個人商店として始まったとうふ屋は、少しずつ取引先が増え、事業としての責任も大きくなっていきました。
そして2009年、私たちは法人化し、株式会社ハドムフードサービスとして歩み始めました。

この頃から、妻が経理担当として会社を支えてくれるようになりました。
私は製造、営業、配達、設備投資、取引先とのやり取りに走り回っていましたが、会社を続けていくには、それだけでは足りません。
日々のお金の管理、請求、支払い、帳簿、資金繰り。
表には見えにくい仕事ですが、会社を守るうえで欠かせない仕事です。

私が前を向いて営業や製造に集中できたのは、妻が会社の足元を支えてくれていたからです。
母から始まった小さなとうふ屋が、会社として歩み始めることができた背景には、妻の支えがありました。


手ぶらで飛び込んだ大阪・大正区

最初に向かったのは、大阪でした。

大阪には、沖縄から移り住んだ方が多い大正区という地域があります。
「大正区なら、沖縄のとうふにも関心を持ってもらえるかもしれない」
そう考え、私は大阪へ向かいました。

今思えば無謀ですが、そのときの私は自慢の商品を持たず、ほとんど手ぶらで訪問しました。
冷蔵が必要なとうふを、どうやって県外へ運べばよいのかも分かっていなかったからです。

大正区の沖縄物産店に飛び込み、
「沖縄から来ました。うちのとうふを置いてもらえませんか」
とお願いしました。
お店の方は驚かれていました。

さらに私が、発送方法や梱包方法について初歩的な質問ばかりするものですから、きっと呆れられたことと思います。

それでも、お店の方は冷蔵商品の送り方、配送会社の選び方、梱包の仕方などを一つひとつ教えてくださいました。
沖縄から何も分からずにやって来た私を、温かく受け入れてくださったのです。

県外でも、自分たちの商品に可能性がある。
そう感じられたことは、私にとって大きな自信になりました。

もちろん、県外取引は良いことばかりではありませんでした。
商売の厳しさを思い知らされる出来事もありました。

取引が始まったからといって、すべてが順調にいくわけではない。
信じることと、商売として確認すべきことは別である。
そのことも、大阪で学びました。

それでも、私にとって大阪での経験は、本土で商売をしていく大きな一歩でした。


東京でつかんだ、大きな転機

大阪での営業に手応えを感じた私は、次に東京へ向かいました。
ウィークリーマンションを1カ月借り、都内の飲食店さまを片っ端から訪問して回りました。

しかし、結果は厳しいものでした。
約300店舗を回りましたが、ほとんど取引にはつながりませんでした。

途方に暮れていたとき、関東にある大手豆腐関連企業さまのことを思い出しました。
その企業さまと弊社には、包装資材を作っていただいている会社さまが同じという、たったそれだけの接点がありました。
私は、そのわずかな接点に可能性を感じ、先方を訪問しました。

しかし、当然ながら簡単には取り次いでいただけません。
本社へ4回足を運んでも、商談の機会はいただけませんでした。

困り果てた私は、包装資材の卸会社さまを訪ねました。
そして専務にお会いし、こうお願いしました。
「取り次いでいただかなくて結構です。私の名前を先方に知らせていただくだけでいいんです」

今思えば、ずいぶん無理なお願いだったと思います。
専務にとっては、何のメリットもない話です。

それでも専務は、最後には「分かった」と言ってくださいました。

数日後、私は5回目の訪問をしました。
受付で名前を伝えると、それまでとは違い、社内へ通していただけました。
役員の方にご挨拶する機会をいただき、商談の時間まで作っていただいたのです。

その商談で、条件を満たすことができれば取引を検討する、という前向きなお話をいただきました。
私は大きな可能性を感じ、沖縄へ戻ってから、その条件を満たすために必死で取り組みました。

ありがたいことに、その企業さまとのお取引は今も続いています。

この取引は、弊社にとって大きな転機でした。
全国取引の信用ができ、製造数量も増え、設備投資にも踏み切ることができました。
会社が一段階上がるきっかけになったのです。

あのとき、包装資材会社の専務が先方にどのようなお話をしてくださったのか、今でも詳しくは分かりません。
ですが、弊社が大きな一歩を踏み出すきっかけを作ってくださったことは間違いありません。
感謝してもしきれない出来事です。


島とうふ屋から、ジーマーミ豆腐専門店へ

もともと私たちは、手作りの島とうふ屋でした。
しかし、会社が成長していく中で、大きな決断をする時期が訪れました。

2013年、生産効率と衛生管理を高めるため、現在の場所へ工場を移転しました。
当初は、島とうふの製造数もさらに増やしていくつもりでした。

ところが、新しい工場で島とうふの製造効率を高めるには、新たな製造機械への投資が必要でした。

島とうふとジーマーミ豆腐、その両方に十分な投資をする余裕はありません。
どちらに会社の力を集中させるべきか。

当時、売上の7割は島とうふでした。
それを手放すことには、大きな迷いがありました。

数年間は、同業の協力会社さまから島とうふを仕入れ、弊社のジーマーミ豆腐と一緒に卸販売する形も取りました。
それでも、これから伸ばしていきたい商品は何かと考えたとき、私はジーマーミ豆腐に可能性を感じていました。

ジーマーミ豆腐は、沖縄の郷土料理です。
そして、県外のお客様にも沖縄を感じていただける商品です。
沖縄のお土産としても、県外の食卓に届ける商品としても、まだまだ可能性があると感じていました。

迷いはありました。

しかし、会社として専門性を高めるため、私たちはジーマーミ豆腐一本に絞ることを決めました。

結果として、この決断が今のハドムフードサービスを形づくりました。
一つの商品に集中したからこそ、味、製法、品質、日持ち、届け方を磨き続けることができたのだと思います。


直火焚きで、昔ながらの香ばしさを残す

ジーマーミ豆腐は、ピーナツの搾り汁を焚き上げて作ります。

効率だけを考えれば、蒸気釜などを使って大量に加熱する方法もあります。

しかし、私たちはあえて、ひと鍋ひと鍋、直火で焚き上げる製法にこだわっています。
直火焚きは、手間がかかります。
火加減の調整も必要です。
焦がさないように、しかし香ばしさや風味をしっかり引き出せるように、作り手の感覚も求められます。

それでも、この工程には手間をかけたいと思っています。
昔ながらの手作り感。
ピーナツの香ばしさ。
濃厚で豊かな風味。
それらは、効率だけでは残せないものだと感じているからです。

また、私たちのジーマーミ豆腐は、当社が標準的と考える配合よりも、ピーナツの使用量を約30%多くしています。
これは、私がジーマーミ豆腐のレシピを作るときに決めたことです。

さまざまなジーマーミ豆腐を食べ比べたとき、ピーナツの風味が軽いと感じるものもありました。
だからこそ、当社はその逆を行こうと思いました。

コストは上がります。
それでも、自分自身が納得できる味を商品にしたかった。
ピーナツの濃厚な風味をしっかり感じていただけるジーマーミ豆腐を作りたかったのです。

ありがたいことに、県外のお客様からは、
「ハドムの琉球じーまーみとうふが一番好きです」
というお声をいただくことがあります。

作り手として、これほど嬉しい言葉はありません。


常温商品への挑戦が、会社を大きく変えた

ジーマーミ豆腐を県外へ広げていくうえで、大きな課題の一つが保存方法でした。

冷蔵商品は、品質を保つための温度管理が欠かせません。
県外へ届けるには、物流面でも販売面でも制約があります。

そこで私たちは、常温保存ができる商品の開発に取り組みました。

常温商品を作るうえで難しかったのは、単に日持ちをさせることではありませんでした。
殺菌温度や加熱時間を調整しながら、ピーナツの風味、なめらかな食感、そして目標とする賞味期限を、どう両立させるか。
そのバランスを取ることに、とても苦労しました。

殺菌を強くすれば、日持ちはしやすくなります。
しかし、風味や食感が損なわれてしまっては、私たちが届けたいジーマーミ豆腐ではなくなってしまいます。

常温商品を商品化したのは、2016年のことです。

それから約10年が経ち、現在では常温商品が当社売上の半分を占めるまでに成長しました。

この商品によって、私たちはより多くの地域へ、より多くのお客様へ、ジーマーミ豆腐を届けられるようになりました。
沖縄のお土産として、県外の小売店さまの商品として、そしてご家庭で楽しんでいただく郷土食品として、可能性が大きく広がったのです。


全国へ広がった、琉球じーまーみとうふ

現在、ハドムフードサービスの商品は、北海道から九州まで、全国各地でお取り扱いいただけるようになりました。

かつて母と二人でとうふを作っていた小さな工房から始まった商店が、今では社員・パートさんたちとともに、全国のお客様へ商品を届ける会社になりました。

もちろん、会社が大きくなった(以前と比べて)といっても、私たちが大切にしていることは変わりません。

お客様に「おいしい」と言っていただける商品を作ること。
沖縄の郷土料理を大切にすること。
一つひとつの工程に、手間を惜しまないこと。
そして、安心して召し上がっていただける品質を守ること。

ジーマーミ豆腐は、沖縄の先人たちが育ててきた郷土料理です。

私たちは、その伝統に支えられて商売をさせていただいています。
だからこそ、ただ昔のまま守るだけではなく、現代の暮らしに合う形で届けていきたい。
冷蔵の商品も、常温の商品も、それぞれの良さを活かしながら、沖縄の味をもっと身近に感じていただきたいと考えています。


沖縄を代表する定番土産・郷土食品へ

最初から、沖縄の食文化を全国に広げたいという大きな使命を持っていたわけではありません。

はじまりは、母の小さなとうふ屋でした。
そして私は、売上を伸ばすため、価格競争から抜け出すため、必死で作り、必死で売ってきました。

けれど、その歩みの中で、県外のお客様がジーマーミ豆腐を喜んでくださる姿を見ました。
沖縄を離れて暮らす方が、懐かしい味として手に取ってくださることを知りました。
観光で沖縄を訪れた方が、お土産として選んでくださることも増えました。

その積み重ねの中で、私の中に少しずつ思いが生まれました。

ジーマーミ豆腐を、沖縄を代表する定番土産・郷土食品に育てたい。
沖縄の郷土料理を守りながら、現代に合う形で全国へ届けたい。

それが、今のハドムフードサービスの目標です。

お客様お一人おひとりに喜んでいただけるように。
沖縄の魅力を、より多くの方に知っていただけるように。
そして、この会社を支えてくれている社員・パートさんたちとともに、これからも誠実にものづくりを続けてまいります。

今後とも、ハドムフードサービスの琉球じーまーみとうふを末永くご愛顧たまわりますよう、心よりお願い申し上げます。


株式会社ハドムフードサービス
代表取締役 赤嶺英一


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